着床前遺伝子検査
着床前遺伝子検査
着床前遺伝子診断(Preimplantation Genetic Testing, PGT)は, 胚(受精卵)のもつ遺伝子・染色体の状態を調べる技術です.
現在では大きく分けて, 3つの目的で実施されています.
1つは, ご家族中に重い遺伝病の患者様を持つ方々で, 子どもに自らの遺伝子異常・染色体異常を引き継がせる可能性があるカップルに対して実施されるPGTです (PGT for monogenic/single gene defects: PGT-Mと呼ばれます). 体外受精の技術により, 当該カップルに由来する胚 (受精卵)を発生させ, そのうちのごく少ない細胞の一部を用いて遺伝子検査を実施します. これにより, 遺伝子変異を持つ胚・もたない胚を識別し, 生まれてくる子どもの遺伝病を予防することを可能とする技術です.
PGT-Mが実用に至る以前には, こうしたカップルには出生前診断の実施が提案されてきました. 妊娠後に実施される羊水検査等により, 胎児が重い遺伝病に罹患していると診断された際には, カップルの中には妊娠を途中で諦めることを余儀なくされる方もいました. PGTは, この様なカップルの心身におけるトラウマを回避することを可能とします.
欧米においては, PGT-Mは確立された「当たり前」の医療と見なされている一方で, わが国では長らく臨床研究としての実施が義務づけられておりました. この乖離は, わが国の固有の倫理観と遺伝診療の立ち後れに原因しています. PGTに限ったことではなく, 国内の遺伝子検査は, 大学病院等に所属するそれぞれの疾患の専門家により, 研究を基盤として請け負われてきた経緯があります. 研究である以上は, その財政的支援を継続して受けることは容易ではありません. また, 研究者の異動や病気等により, その医療の提供が突如絶たれる可能性があります. したがって, さらに多くの施設において, PGT-Mを実践できる体制が整備されることが求められております.
PGTの実施には, 潜在的な多くの問題点も指摘されています. 技術が浸透していくにつれて, 病気をもつ少数派の人々の人権を軽視し, 差別や偏見が助長される社会の原因となると危惧する人もいます. 1997年に発表された「ガタカ」というハリウッド映画では, 病気になりにくい子どもが欲しい・高い知能指数を持つ子どもが欲しい・美しい容姿を持つ子どもが欲しいと願う人々が, 当然のこととして最先端の技術を利用する近未来を描いています. 現在までの遺伝子工学の確実な進歩を鑑みれば, これは決して「単なるSFの世界」と据えるべきではないのかもしれません. むしろ, 遺伝診療がリアルに根付いている欧米においては, 映画や小説を通じて一般の人々が議論を交わせる土壌があることに気付かされます.
近年, 専門家の集団である学会を中心に, わが国においても, その実用に関する一層の議論がなされつつあります. 野放図な実施には制約が必要であることに異論の余地はありません. しかし, 生まれてくる子どもの生涯に亘る福祉を第一に考えるPGTが, それを必要とする1人でも多くのカップルに届くことを願ってやみません. 藤沢IVFクリニックでは, 高度な技術・確かな知識と経験に基づくPGTに関する遺伝カウンセリングとその実践を目指して参ります.
2006年以来, 染色体の構造に異常をもつカップルを対象とする染色体診断のためのPGTが実施されてきました. これは繰り返し流産を経験することを避けることを目的としており, 先述の重篤な遺伝病の家族のためのPGTとは厳密には区別されています.
流産を繰り返す「不育症」の事例では, この転座等の染色体構造異常を原因とするカップルがおよそ2-5%に認められます. この際の構造異常には, 染色体均衡型相互転座やロバートソン転座が含まれます. 均衡型転座を原因として不均衡型転座をもつ胚が発生することがあり, その多くは妊娠のごく初期に流産に至ります. この通常のカップルに比較して流産リスクが高いカップルに提案される染色体診断のためのPGTが, PGT-SRです.
PGT-SRの実施により, 流産を減少させる効果があることには一定のコンセンサスが得られているとする風潮もありますが, 実際は質の高い臨床試験の報告が現在まで十分ではない問題が残っています. 近年の報告によれば, PGT-SRを実施しても出生率 (生児獲得率)が向上したり, 妊娠に至るまでの期間を短縮させたり, あるいは流産率が低減するという結果すら得られていないとすら結論しています.【1】
前述の報告は, 従来の細胞遺伝学的検査法に基づく手法で実施された研究が主体であり, 現時点でのベストプラクティスを反映していない可能性もあります. この分野における技術の進歩は目覚ましく, その真価が証明される以前に, 技術はさらに新しい技術にとって代わられることを繰り返しています. 1978年に卵管性不妊のカップルに対して開発された体外受精は, その後原因不明不妊症を含む様々な事例に対しても提供されるようになりましたが, 卵管に原因のないカップルに対してもIVFの実施が有用である事を示すデータが2004年に得られるまでに, 実に25年以上の歳月を要しています.【2】
新たな技術の有用性とその安全性の検証には, その問題に直面するカップルの協力の上でのみ成り立つ臨床研究の実施が必要不可欠です. 臨床研究の実施により, きめ細かいデータ管理や安全性に関するモニタリングを通じて, 患者様には良質な医療を提供出来る可能性が生まれます. 自分自身が, この技術によりメリットが得られる可能性があるのかが分からない方は一度当院にご来訪ください.
IVFの不成功の原因の多くが, 胚 (受精卵)の染色体の数の異常によるものとする考え方を前提として, その胚の染色体解析によりIVFの成績を向上させるためのPGT (PGT-A)が実施されています. 繰り返す流産の回避のため実施されるPGT-SRと目的を異にする以外には, 同一の解析技術・タイムスケジュールに基づいて運用されます. これはとりわけ北米における全てのIVF周期の40%以上で実施されていると考えられています.
わが国においては, 日本産科婦人科学会の「診断する遺伝情報は, 疾患の発症にかかわる遺伝子・染色体に限られ, スクリーニングを目的としない」とする「着床前診断に関する見解」に基づき, 長らくその実施は制限されてきました. 【3】
しかし, 近年のIVF関連技術・遺伝子工学の発展を背景として, 2016年には, その有用性の検証を目的とする日本産科婦人科学会が主導する特別臨床研究が実施されるに至っております. さらに, 2019年6月には日本産科婦人科学会は学会会告に変更を施した上で, 一定の条件を満たす施設においてのみ実施される学会主導の臨床研究を行ってきました.
PGT-Aの実施により, 胚移植あたりの妊娠率の上昇の効果が期待される一方で, 採卵を試みた患者様あたりの成績の上昇が得られるかについては, 今尚議論の余地があります. 2019年に報告された34の施設と9の解析施設が参加する世界規模の多施設共同研究によれば, PGT-Aの実施による妊娠率・生児獲得率の改善は認められませんでした.【4】
正常と診断された胚を移植しながらも期待された結果が得られなかったことに関しては, 検査時による胚発育へのネガティブな影響や, 解析結果が正確ではないこと等が原因として考えられています. いずれにしても, 現時点でPGT-Aが今後の「当たり前のIVF」となるとみなすだけの十分な根拠はなく, 臨床研究としての実施を除いては厳に慎むべきであり, 研究への参加に先立ち十分なカウンセリングの実践が望まれる状況にあります.
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